さて後半読み終わった。
後半で面白かった部分は、まずは本の内容というよりファシリテーターという存在・役割のこと。
聞いたことはあったけれどもあまり具体的に分からなかった言葉だが、「物事を円滑に進めさせる」という意味の「ファシリテート」から、子供や生徒の興味を引き出し主体的な学びを手助けするというのが「ファシリテーター」という存在であり役目とのこと。一方的な先生として知識を伝える存在ではなく伴奏してサポートする存在である。
私はダンスやフィットネスなど、人にものを教える立場だけれども、無意識的に教える立場としてずっと以前から心がけてきたことが「ファシリテーターである」ということだと初めて自覚できた。
先生として、自分が偉い存在で、知識がある・できる人からできない人に教えてやると言う態度がすごく苦手で、一緒にその人の立場に立って、その人がなぜできないか、なぜできるようになりたいかを理解して、隣に立って同じものを見るような形で教えていこうと意識してきたので、言葉を知らなかったけれどもファシリテーターという存在を目指していた。
うまくラベリングできたことで、よりそのような立場をイメージしたりより良くなるように目指しやすくなった。
つぎに、面白かった部分。ちょっと長いけど引用しちゃいます。
「プログラミングは何歳から習わせるべきですか?」そこに答えはありません。そういう質問すること自体、昭和の教育の名残なのです。常に答えが存在し誰かがそれを知っていることを前提にしている。
先が見えない時代に突入しています。答えは誰にもわからない。専門家にも分からないので分かりません。自分で考えるしかないのです。
似たような質問を受けることは私も度々あります。
「ダンスは何歳から始めた方がいいですか?」
「週に何回通えば踊れるようになりますか?」
その答えは個人差もあり、それぞれの事情もあり、私には答えようがないのです。
踊れる、という基準も人によって様々なので、何を持って踊れているのか、どのくらいのレベルでその人が満足するのかは、私には知りようがありません。
もちろんそんな時には無難に、その人次第ですよ、週に1度2度くらいの方が多いですね、などと答えているけれども、そんなの知らないよ自分で考えてと言いたいのが本当のところです。
今回読んだ本は、スマートフォンやタブレット、パソコンなどデジタルの機器をこれから教育の場でどのように使っていくかの具体例や、柔軟な考え方を示してくれたけれども、結局はこれからの時代は自分で自分が何をしたいかを決めていかなければいけないということになるのだ、ということが読み取れた。
人に強制された、あるいは決まりきったことをやって大多数と同じ答えを導き出すのが正解という時代は終わり、自分で考えて自分にとっての正解あるいは幸せというものを、それぞれが探していく時代になっていくんだなということが腹落ちできた。
私はもう大人になってしまったけれども、明日以降の未来を自分で選び取れるように考えていきたいと思う。